判決の効力(自己拘束力)について

判決の言渡し(民訴250条)がなされると,その裁判所自身も判決を撤回したり,変更したりすることが許されなくなる作用のことを「自己拘束力」といいます。「自縛力」あるいは「自縛性」ともいいます。

自己拘束力の根拠は「判決に計算違い,誤記その他これらに類する明白な誤りがあるときは,裁判所は,申立てにより又は職権で,いつでも更正決定をすることができる」(民訴257条1項)の反対解釈です。なお,「裁判所は」とありますが,命令は裁判所によるものでなく,裁判官が記名押印する(規則50条1項)ものですから,前出の反対解釈から命令については自己拘束力も自ずと制限されるとの見方があります。

この際ですから,257条についていくつか解説をしておこうかと思います。

「計算違い」の意味は,数学的な意味にすぎないのか,事実認定や法的評価といった裁判所の判断まで包含するのか,という論点でがあります。これについては,数学的な意味での「計算違い」であるとする考えが主流です。というのも,257条1項は「計算違い,誤記その他これらに類する」と列挙的ですし,そもそも3審制のもと上訴の道が開かれているのですから,あえて257条に定めをおく理由もないと考えられます。

「いつでも」の意味は,どのように解釈すべきでしょうか?257条による更正は,裁判所による判決書に対する作用ですので,債権債務にかかる時効の概念とは分離して考えるべきものですから,時効の完成後であっても更正は可能です。また実務上,時効の完成があっても援用がなければ強制執行の道は開かれています。

初学者のために付記します。判決および決定は,いずれも裁判所によるものですが「判決の言渡しは,裁判長が主文を朗読してする」(規則155条1項)ので,朗読での言渡しが必要となります。要証事実のない手続法上の問題の場合は判決によらず決定で足ります。判決書に裁判官(裁判長)の記名押印があるのは,規則157条以下の規定によるものです。

名誉毀損と名誉権侵害の異同

近年、名誉権侵害をテーマとする訴訟が提起されることも多く、その背景として、匿名SNS上でのトラブルが挙げられます。

これについて、先日、某地方裁判所の判事が「名誉毀損は客観的評価、名誉権侵害は自己評価」という非常に簡潔な見解を示されました。

実務上、名誉権侵害が名誉感情侵害のみに限局されることに鑑みれば、これは非常に簡潔かつ示唆に富む考え方であり、教科書の表紙に書いてもよいなと感じましたので共有させていただきます。

ただし、これをそのまま民法の試験で書くのはNGと思われます。

氏名不詳者を対象とする訴訟の提起と調査嘱託について

SNSでのトラブルに端を発する事件では、氏名不詳者を相手方とする訴訟の提起が必要となる場面も少なくないように見受けられます。

訴状には、当事者および法定代理人(民事訴訟法134条2項1号)と、請求の趣旨および原因(同条2項2号)の記載が必要と規定されています。

民事訴訟規則でも「当事者の氏名又は名称及び住所並びに代理人の氏名及び住所」(規則2条1項1号)となっています。

しかしながら、我が国が弁護士強制主義をとっていないことに鑑みれば、また、後述するように被害者の権利の保護の観点から、緩やかに解釈して差支えないでしょう。

これらの規定は、訴訟経済上、形式面での審査の必要から規定されたものであるとみるべきで、不明の相手方からの法益侵害を被ったけれど、たとえば官公庁しか加害者の氏名住所を知り得ない…といった状況において門前払いでは非情に思え、救済の要請も十二分に存在するといえます。

実務ではどうでしょうか。裁判例ではありますが、東京高等裁判所・平成21年12月25日は、「当事者は,氏名及び住所によって特定するのが通常であるが,氏名は,通称や芸名などでもよく,」としています。

もっとも、上記裁判例は、氏名不詳者を相手方とする訴訟を正面から許容する趣旨ではありません。

これについて、氏名不詳者を相手方とする訴訟の容認可否の分水嶺としては、名古屋高等裁判所金沢支部・平成16年12月28日があります。

ここでは「被告の特定について困難な事情があり(略),被告の特定につき可及的努力を行っていると認められる例外的な場合には(略),上記の調査嘱託等をすることなく,直ちに訴状を却下することは許されないというべき」としています。

これを受けて、近時は、①23条照会、②氏名不詳者を相手方とする訴訟の提起、③釈明処分としての調査嘱託(民事訴訟法151条1項6号)というステップを踏むことが主流となっています。

なお、23条照会については、多くのSNS事業者が応じていないのが実情で、このことは通信の秘密(憲法21条2項後段)からも当然の応答と考えられます。

当然ながら、個人は23条照会を行い得ないため、個人が訴訟を行う場合(本人訴訟)でも、弁護士が受任する場合でも、実質的に同一のステップを踏むことになります。

一定の手続きにより万人にアクセス可能な情報の転載と不法行為

新しい人権として「知る権利」というものがあり,表現の自由(憲法21条1項)から導かれるものとされています。

判例通説ともに「知る権利」は認められており,その性格は次の2通りに大別されると考えられています。

①表現の自由に対して反射的に表現を受け取る自由が存在するとの考えに基づく妨害排除請求権(自由権)としての性格。

②政府の有する情報の公開を求めることで国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を得る権利(最大判昭和44・11・26,刑集23巻11号1490頁)すなわち参政権に絡んだ請求権もしくは社会権的性格。

わが国においては,「目黒区駒場8丁目の団体職員生研太郎容疑者(49)がカルタヘナ法違反の疑いで逮捕され~」などとプライバシーを丸裸にする実名報道が一般的ですが,諸外国ではフルネームが報じられることはほぼありません。

表現の自由が極めて強いとされている米国でも,社会的影響が大きい事件のほか実名報道はなされていません。

インターネット上はどうでしょうか。ツイッターや5chなどといった,反社会的性格の強い人物が集うSNSでは,他人の個人情報を暴露することを生業としているケースも見受けられます。

インターネット上で「炎上」した人物について,実名や住所を暴いてやろうといったことは,かつて盛んにみられたものの,刑事事件化することが増え,昨今ではあまりみられなくなりました。

現在でも問題となるのが,裁判書(さいばんがき)や登記簿の公表です。これらを公開する人物は「公開情報で万人に閲覧可能なのだから違法でない。」と主張をすることは珍しくありません。

東京地裁平成25・2・27は,不動産管理会社の従業員が,マンション管理組合の役員を退任させる目的で,登記簿を取得し,これを他の管理組合役員に開示したことにつき,プライバシーの侵害にあたるとされた事例です。

本件では,登記簿に仮差押えの登記が混じっていたこともプライバシー侵害の認定上重要であったと考えられますが,銀行や信用保証会社からの登記、住所氏名も,インターネット上での公開となれば,例外なく不法行為責任を問われることになるでしょう。

裁判書については言わずもがなです。勝訴であれ敗訴であれ,裁判に関与したこと自体が「負の評価」となるのは当然であり,「●●氏が裁判沙汰に」程度の情報であっても不法行為責任を問われることは必至です。

「住所」とは何か

「住所」は「引っ越したので新しい住所は…」のように使われることが多いのですが,この場合には住宅の位置を指定する座標としての意味が強いと考えられます。

他方,地方自治体選挙における有権者が投票を行うに際しては,住宅の位置としての「住所」では問題が生ずるため「引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有する者(公職選挙法9条2項)」といった規定があります。

同様の問題は納税の場面でも生じ得るため「道府県内に住所を有する個人(地方税法24条1項1号)」のような規定もあります。

いずれも,単なる住宅の位置を指定する「住所」ではなく,人間の所在を問題にしていることは明白です。

判例は,①「反対の解釈をすべき特段の事情のない限り,その住所とは各人の生活の本拠を指す」(最大判昭和29・10・29,民集8巻10号1907頁),②「その人の生活にもっとも関係の深い一般的生活,全生活の中心」(最判昭和35・3・22,民集14巻4号551頁)としています。

上記の判例は,いずれも選挙権に関するものですが,租税に関する実務でも同様の判断がなされているようです。